灰色の空から冷たい雨が降る。
凍える躰を震わせながら、私は彼を待っている。
病院の建物は古く、待合室から外が丸見えで、外来の患者さん達が私を不審そうに眺め
見ている。
元より、私は不審人物だ。
この町にも、今の居住地にも、本来私は存在しない。

ある日、突然。
ふらりと現れた女。
小さな旅行鞄ひとつで、ふらふらと行くあてもなく流れていた不審者。
小さな、今にも倒壊しそうな市役所の掲示板で、アルバイト募集の張り紙を見つけ、諦め
半分で面接に行った。

酪農と農業の町。
そこから、更に山近くへ。
家族五人で営む小さな農家が点在する集落。
合併する前は、山村だったという。

突然働かせてくれと現れた若い女に、素朴な彼らは何を思ったのだろう。

「りうっ!?」
「和己さん・・・。」
「何やってんだっ。ずぶ濡れじゃないかっ!!」
「・・・咲おばあちゃんは・・・。」
「・・・さっき、頭がい骨の一部を外した。脳の腫れが少しでもひけばいいけど・・・。」
「ごめんなさい。」
「りうの所為じゃないだろっ。医者だって言ってた。脚立から落ちたのだって、ばぁちゃんが
勝手に。」
「ううん・・・私が・・・。私が、咲おばあちゃんの漬けた梅を食べたいなんて言ったから・・・。」
「だからそれはっ。」
「私が食べたいなんて言わなければ・・・おばあちゃんは納屋になんて行かなかった・・・。」
「りう・・・。」

咲おばあちゃん。
何処にも行くあてのない私を家に置いてくれた。
家族が反対したのに。
私を働かせてくれて、美味しいご飯を食べさせてくれて。
それなのに。

私と和己さんの目の前で。
脚立から落ちた。
私さえ、おばあちゃんの漬けた梅が食べたいなんて言わなければ。
そうすれば、おばあちゃんが脚立に乗る事なんてなかったのに。

「医者が言ってたろ? 脚立から落ちたのが先か、脳溢血を起こしたのが先かなんて解ら
ないって。それに、俺だって納屋にいたんだ。りうだけのせいじゃないっ。」
「ごめんなさい・・・ごめ・・・なさ・・・。」
「とにかく、病室へ戻ろう。ばぁちゃんの意識が戻った時、りうが傍にいなかったら泣くぞ。」
「・・・。」
「こんなに濡れて。ばぁちゃんにとってりうは本当の孫娘より可愛い存在なんだ。倒れたり
したらどうすんだよ。ほら。」

和己さん・・・。
こんな私に結婚しようと言ってくれた。
昔の事なんて何も聞かない、と。
優しい松宮家の人々
和己さんは、私には過ぎた人。
松宮家の人々は、私には過ぎた家族だ。

『これからもずっと、俺の傍にいてくれないか・・・。』
不器用なプロポーズ。
ゴメンナサイ。
それしか言えなかった。
私は和己さんと結婚できるような女じゃない。
『待ってるから。良い返事が聞けるまで、ずっと待ってる。』
そう言ってくれた。
嬉しかった。
でも。

    死んでも離さないよ・・・璃羽。

ウィン・・・貴方に穿たれた楔が、今も私を束縛し続けている    



    再会 V    



この雨が雪に変わる前に、貴女の許に辿りつかなくては。
凍えた貴女の心を思うと、今はただ、抱き締めたい。
解っている。
貴女の心は、今はもう、何処にもない。
彼が、あの日、天国へと持ち去ってしまったから。
それでも、貴女はおれ達を頼ってくれた。
それだけで、いい。


お金がいるの。
私のせいで、咲おばあちゃんが。
助けたいの。
でも、ここじゃ助けられない。
死んじゃう。
スティーブ。
今更、こんな事頼むの厚かましいって解ってる。
でも。
助けて・・・助けてください。
お金は、一生働いて返す。
だから。
助けて、スティーブ。

ゴメンナサイ・・・ゴメンナサイ・・・。


厚かましいだなんて言わないで。
散々貴女を泣かせて傷つけたオレ達に『ゴメンナサイ』だなんて。
そんな言葉を言わせてしまうのは、きっとオレ達の罪。
泣かせて、傷つけて、苦しめて。
犯して穢してボロボロにして。
また、貴女を独りぽっちにしてしまった。
この罪を、どうやって貴女に償ったらいいのか。

だから頼っていいんだよ。
オレ達の許に、戻っておいで。

「スティーブ。」
「どうした?」
「すみません、実は・・・。」
「病院のヘリポートが使えない?」
「はい。救急ヘリ以外使えないそうです。」
「近くにヘリの降りられそうな場所は?」
「郊外に使われていない滑走路があります。」
「滑走路?」
「はい。農作物を運ぶ為に作られたそうですが・・・。」
「経費として割に合わない。」
「そのようです。今は観光客の遊覧飛行に使っているようです。」
「降りられるか? 病院までの時間は?」
「許可はとりました。病院までは車で一時間ほど。」
「ふぅ・・・なんて田舎だ。しかし、観光客と言わなかったか?」
「癒しの町として観光開発されたのはごく最近なのです。」
「癒し、ねぇ・・・病院の近くにホテルは?」
「街中にプリンセス・ホテルがあります。病院からだと、徒歩20分。」
「プリンセス・ホテル?」
「はい。まだ新しいですね。」
「そこの最上級は?」
「・・・と。と。・・・う。」
「なんだ?」
「プリンセス・スウィート・・・一泊14万・・・。」
「はぁっ?!」
「ち・・・地方の観光ホテルですから。お手頃価格といいますか・・・その・・・。」
「却下。」
「では、ヘリで30分ほどの場所に某ホテルがあります。」
「それ。しばらく滞在する。」
「はい。」

操縦席の隣でPCと睨み合う秘書・飯田。
日本での生活はすべて彼が支えてくれていると言っても過言ではない。
語学は堪能なオレ達だが、異国で生活するとなると話は別で、彼は三年前からずっと
オレ達を傍で見て来た。
気難しいディアンは別格として、口の堅い飯田は、姫ちゃんにとっても特別だった。
だから、姫ちゃんが行方不明になった時も、彼だけは居場所を知っているだろうとタカを
括っていて怒鳴られた。
思えば、温厚な飯田が怒鳴ったのは、後にも先にもこの時だけだった。

    散々泣かせて・・・泣かせて泣かせて、この有様ですかっ!!

解ってる・・・。
解ってるよ、飯田。
お前にしてみれば、別れた娘と同じ年の姫ちゃんが男達に弄ばれている様を見続ける事
が、どれほど辛い事だったのか。
解ってて。
でも、止められなかった・・・。

罪は、償う。
何を犠牲にしても。
だから、早く。
早く、あの貴女(ひと)の許へ。