ベッドの軋みで目が覚めた。
だるい躰を起こす事が出来なくて視線だけを向けると、ベッドの端に腰を下ろし、
サングラスを外すスティーブがいた。
何処かに出かけるのだろうか。
薄手の高級ウールのスーツに身を包み、その上から毛皮を羽織っている。
真っ白いミンクのコートが目に眩しい。
「・・・。」
一瞬、何処のマフィアさんですか・・・と思ってしまった。

「目が覚めた? 大丈夫?」
大きな手が、優しく私の頬を撫でる。
私は、死んだように眠っていたらしい。
大丈夫って・・・大丈夫な訳、ない。
うつ伏せたまま動けないのがその証拠。
脚腰立たなくなるくらい私を抱いたのは誰?
視線で抗議すると、やわらかな苦笑が降って来た。
深い接吻けと一緒に。

「何処に行くの?」
やっとの事で囁いた。
朝から叫び過ぎて喉が痛い。
声が出ない。
躰を起こそうとして、失敗。
スティーブはケロリとしてるのに。
体力の差は歴然だった。
「帰って来たんだよ。」
甘い色の瞳が優しく私を見下ろしている。
いつも私を安心させてくれる眼差しだ。
「?」
「二時間ほど、出掛けてたんだ。」
仰向けにしてもらって、首を傾げたら、ふわっ、と。
ミンクのコートに包まれた。
襟と袖口にチンチラ。
シェアードミンク(短く毛がカットされたミンク)の独特な光沢が綺麗。
でも・・・。
この超ロング丈は。
やっぱりマフィアさんに見える・・・。

「今、変な事考えたでしょ・・・。」
う・・・よ、読まれた。
「ちょっと・・・。」

だって。
昔、テレビで観たイタリア映画に出て来るようなスタイルなんだもの。
日本人じゃ、このロング丈のコートを着こなすのはまず無理だよ。
あ、このチンチラ気持ち良い。
やわやわと素肌を撫でる感触にうっとりしてたら、大変な事に気が付いた。
私の躰、汚れたままだ。
「ス、スティーブ。コート、汚れちゃう。」
慌てて腕の中から逃げようとしたら、きゅっ、て私を抱き締める腕に力が入る。
「大丈夫。覚えてないの? ちゃんとお風呂に入れたよ?」
いつの間に。
そう言えば・・・この部屋。
きょろきょろと室内を見回せば、違う。
この寝室。朝眠っていた部屋と違う。
「・・・ここ。」
「ああ、ベッドメイクの為に寝室を変えたんだ。もう終わってる。」
「・・・。」
ス・・・スティーブ。
ベッドメイクって・・・あのベッドの上も・・・。
シーツもクッションも汚れた。あの・・・。
恥ずかし過ぎる。
私、きっと茹でタコだ。
でも、スティーブは余裕の笑み。
「メイドにやってもらった。大丈夫。ここのメイドは訓練が行き届いてるから。」
た、確かに。
このホテルのメイドは凄いと聞いた事がある。
制服は黒のパンツスーツ。靴はヒール5センチ。エプロンは腰から下のハーフタイプで
ストレート。髪はピシッと纏め上げ、両手には真っ白い手袋。
更に、家具調度品から寝具まで、この部屋に置かれているブランド品のすべての知識
を持っている。
その上、最低でも三か国語を習得済み。PCの扱いからクリーニングに至るまで、完璧。
プロフェッショナル。
間違ってもヒラヒラのふわふわメイドではありません。

「お腹空いたでしょ? 今、何か作るね。」
「・・・うん。」
「出来るまで寝てていいよ。」
「うん。」

コートを脱ぐ後姿。
がっしりとした肩幅。広い背中。厚い胸板。
やっぱり・・・うーん。マフィアさんだ。

スティーブが部屋を出た後、やっとの思いで起き上がった。
こ、腰が痛い。
「あれ?」
ふと、左手に違和感。
見ると、中指に指輪。
いつの間に。
「え・・・。」
キラキラ。キラキラ。
プラチナの台に埋め込まれた蒼いダイヤの輝き。
後で、お守り、と言われた。



    再会 \    



捨てられた仔犬。
否。
汚い段ボール箱に捨てられた仔猫、かな。
他の仔猫は全部拾われてゆくのに、ポツンと残されて、雨が降っても箱から出られ
なくて、ふるふる震えてる仔猫。
やっと抱き上げてくれる手が現れても、戸惑うだけで甘え方が解らない。
そんな感じ。

ぐっすりと眠っている姫ちゃんをバスルームに運んで、ゆっくり堪能した。
流石にヤり過ぎたかな。何をしても目覚めない。
痩せてはいるが、やわらかな肌触り。充分女らしい躰のつくり。
まだ聖域を味わってはいないが、クセになる躰をしている。
男泣かせだなぁ。
ウィンやディアンが夢中になった気持ちが解る。
姫ちゃんに自覚はないようだが・・・。
腕の中でぐっすり眠る幼い顔。
「充分誘ってるよ、姫ちゃん。」
無防備な寝顔で発情するオレ。
と、勿論、これ以上はしないけどね。
早くサロンで手入れしてやらないと。
髪も、肌も、爪も。
一年半の垢をしっかり落とさなくちゃ。

しばらくして、携帯が鳴って、待っていた情報が手に入る。
姫ちゃんの傍では出来ない相談。
ぐっすり眠っていたので外出する事にした。
椿の運転するオフ・ホワイトのリムジンには既に飯田の姿がある。
受け取ったのは数枚の書類。
隅々まで確認して、大きく溜め息を吐いた。
遺産相続の件で横やりを入れて来た連中がいるのだ。
正式な養子であるオレ達の事じゃない。
ウィンの遺言により姫ちゃんに譲られる事となった遺産の一部についてだ。
それに噛み付いて来たのはウィンの父親の別れた妻。と言ってもウィンとは血の
繋がりがない。後妻なのだが。
バカらしい。
浮気をして離婚された身で何が意義ありだ。
だが、嫌な部分を突いて来たので調べさせていた。

ウィンの死について不審な点がある為、墓を発(あば)き、解剖を請求する。

「・・・ツメが甘いな・・・ディアン。」
こんなんじゃ姫ちゃんを護れない。
「どうします?」
「握りつぶせ。徹底的に、だ。手段は選ぶな。後悔させてやる。」
「解りました。レオを使います。」
レオはオレ達が抱える弁護士軍団の中でも凄腕の主任だ。現在は中東に行って
いるはずだが、手段を選ばない事で有名な男だった。
「ああ。姫ちゃんに手出しはさせない。ウィンの墓は絶対に発かせるな。」
「承知しています。」
この件に関して、飯田との会話はそれだけ。
後は事後報告を待つだけだ。
ふと、沈黙が流れた。
飯田は無駄な会話をするタイプではない。
それでも、何か聞きたそうにしているので、知りたがっている事に話題を変えた。
勿論、飯田が知りたがっているのは姫ちゃんの事だ。
「元気だぞ。生活していた環境が良かったのかな。」
「そうですか。」
飯田の安心した顔。
もう暫く様子を見る。
精神的な動揺が、一番姫ちゃんには堪えるだろうから。
飯田は納得している。
再会した時見た姫ちゃんが想像していたより健康そうだったからだろう。

オバアチャンの方は未だ動かせず。
ホテルでの滞在期間は長くなりそうだった。

高級リゾートを売り文句にしている街中をドライブして、途中、某ホテルでのイベント
にぶつかった。
日本ではそこそこ名の通った高級なホテルだ。
季節の変わり目で人の集まらない時期に、大きなイベントを開催したらしい。
女性をターゲットにした高級宝石ブランドの展示会だ。
『世界の宝石とその魅力』
そんな煽り文句に立ち寄ってみたら驚いた。
昵懇にしているイタリア・ブランドが出店していたのだ。
目玉の展示は三億のダイヤ。
つまらん。
だが、ひとつだけオレの目を惹いた指輪があった。
蒼いダイヤの指輪。
細身で華奢でシンプル。
立て爪じゃなくて、埋め込みで、大きさも手頃。
姫ちゃんに似合うと直感した。
「本店から取り寄せては如何です?」
そんな安物を、と飯田の眼が言っていた。
だが。
「お守りにするんだ。価格も手頃な物で良い。中指用だから。」
安くても良いんだよ。
姫ちゃんに似合って、姫ちゃんが気に入ってくれたら。

飯田に向かって悪戯なウィンクひとつ。
やれやれと溜め息を吐く飯田の目の前で三百六十万円の衝動買い。


早く帰ろう。
姫ちゃんが目覚める前に。
何か、新婚気分だ。