知らなかったの。
私は。
男の人の腕の中が、こんなに心地良いなんて。
だって。
いつも。
押さえつけられて。
無理やり躰を開かれて。
息も出来なくて。
ただ、必死に歯を食い縛って。
我慢して。
ただ、耐えて。

だから。
知らなかったの。
キスにも色々あって。
髪の撫で方にもいっぱいあって。
肌の触れ方もそれぞれ違っていて。

何も知らなかった。
私。


「ん・・・。」
悪夢に魘されて目覚めた。
夜明け前だった。
「大丈夫。大丈夫だよ。」
スティーブの暖かい腕の中。
何度も、何度も、優しい囁きが降って来る。

酷い夢を見た。
痛みと恐れに彩られた悪夢のような日々。
愛されているのだと、信じられたなら。
きっと。
もっと別な時を過ごせたのかもしれない。
大好きな人の残された時間を。
優しく、穏やかに。
でも。
ウィンの愛を信じるには。
私は。
傷つけられ過ぎていて。

「泣かないで。姫ちゃん。」
暖かい腕の中。
涙が、止まらなくて。

「ん・・・。」
「大丈夫だよ。姫ちゃん。」
碧い瞳が私を見てる。
優しく。
「あ・・・。」
「何もしないよ。大丈夫。」
降りて来る唇。
啄ばむように。
額に、頬に、涙に。
「ふ・・・あ。」
大きな手のひら。
肌の上を滑る。
「姫ちゃんは、甘いね。砂糖菓子みたい。」
鎖骨をペロリと舐めて囁く。
スティーブの声の方が甘いよ。
どうしてそんなに優しくなれるの?
私なんかに・・・。
「怖いよ・・・スティーブ・・・怖い。」
奪われる事しか知らない。
痛みと、恐怖と、諦めと。
目を閉じると蘇る。
狂った視線。
どうして私なんだろう。
何度も何度も自問自答した。
結局、何も解らなかったけれど。

スティーブの舌が、ゆっくりと滑り降り始めた。
鎖骨から胸の谷間に。
器用な指先が、そっと、触れるか触れないかの優しさで乳房の
先を撫でる。
「綺麗な色。舐めたら消えちゃいそうだ。」
舌先で桜色の蕾を甘く擦りながら囁く。
決して乱暴に嬲ったりしない。
優しい舌先は、更に下へ。
「ふぁっ。」
「何もしないよ。ただ、触れたいだけ。」
さらさらの髪の毛。
くすぐったい。
「あ・・・ん・・・。」
「怖がらないで。力を抜いて。」
やわらかに肌を撫でる指先。
暖かい手のひら。
熱い吐息が、時折、私の肌を焼く。

知らないの。
こんな風に触れられた事なんてないもの。
知らないんだよ。
だって、こんな時間を過ごした事なんてない。
私・・・。

「スティーブ・・・スティーブ・・・っ。」
「イっていいよ・・・大丈夫。オレは何もしないから。」

濡れた舌が辿り着いた先。
痛みと怯えと快楽が混ぜこぜの場所。
小さな粒に、熱く濡れた舌先が優しく触れる。
そこは、ダメなのに。
爪先まで。
痺れる。

「はぁっ。」

頭が。
真っ白。



    再会 [    



薄々気づいてはいた。
姫ちゃんは、本当の意味での快楽を知らないんじゃないか。
ずっと、感じていた違和感。
ウィンとの関係が最悪だった事を考えれば、それは有り得る話だった。
力ずくで奪われた。
強引な関係。
いつも泣いてばかりいた。
気づけばオレが傍にいる始末。
いつもいつも。

姫ちゃんにとってウィンは特別だった。
それは嘘じゃない。
でも。
姫ちゃんにとってウィンは、父であり、兄であり、初めて出来た友達であり。
過去のトラウマを引き摺ったままの姫ちゃんにとって、ウィンは特別だった。
けれど。
その特別はオレ達が考えているものとはまるで違っていたのだ。
だから。
ウィンに力ずくで奪われたショックは大きく、その心の傷は深かった。

ウィンの部屋から自室に戻り、膝を抱えて蹲る姫ちゃん。
いつもいつもポロポロ泣いて。
バスルームに行く体力もなくて。
いつの間にか、姫ちゃんをバスルームに運ぶのがオレの仕事になっていた。
萎縮して震える躰を洗う度、どうしてこんな事になったのか、と。
ただ、戸惑い、困惑し、罪の意識に囚われていた。
小さくて。
いつも怯えて、凍えてた。
何度逃がしてやろうと思った事か。
けれど、ウィンならば探し出しただろう。
時間の無い愛情は、容易く狂気に変わる。
その後の、ウィンの行動を考えると、何も出来なかった。
否。
何より、オレもディアンも、結局はウィンの方が大事だったのだ。
ウィンに残された時間を、少しでも伸ばしたかった。
少しでも長く、生きていて欲しかった。
どんな姿になっても。
それだけだった。
だから、残される姫ちゃんの、これからの長い人生を思い遣る事すら出来
なかった。
心の傷を抱えたまま生きていかなくてはならない姫ちゃんの事を。
もっともっと考えてやるべきだったのに。

それなのに。
すべてが終わってから。
落ち着いてから。
そんな言い訳。
ただ、あの傷ついた瞳と向き合うのが怖かっただけだ。

姫ちゃんが逃げ出して当然。
オレ達はそれだけの事をしてしまったのだから。

ウィンの死後。
突然、姫ちゃんが姿を消した時。
オレ達はただ。
現実を前に、立ち尽くすしかなかった。

痩せ細った躰。
立って歩くのさえやっとだった。
やつれて、ぼろぼろで。
それなのに。
僅かな荷物だけを持って。
たった独りで。

あれから一年半。
姫ちゃんは自分の力で生きていた。
初めての土地。
慣れない仕事。
辛い事の方が多かったはずなのに。
とても健康そうで。

凄く嬉しくて。
少し、悔しい。


「姫ちゃん。」
優しく触れただけでビクリと跳ねる躰。
少し肌荒れはしていたけれど、昔から見たらずっと健康的な躰。
田舎の素朴な家族に、とてもとても大事にしてもらったのだろう。
オレ達には与える事の出来なかった安らぎ。
姫ちゃんの人生の中で、きっと一番幸福な時間。
オレ達の知らない、一年半の重み。
知らず、嫉妬した。
誰か、にではなく、過ぎてしまった時間に、だ。

「い・・・あ・・・っ。」
小さな躰をうつ伏せにして、丸い踵に優しく噛み付いた。
右の踝に小さな傷痕。
虫刺されだろうか。
膝の裏からゆっくりと唇を滑らせ、丸みを帯びたヒップで一度止まる。
ガクガクと姫ちゃんの躰が震え出したからだ。
「大丈夫だよ。オレだから。」
体重を掛けないよう両肘で身体を支えながら、そっと細い腰の辺りで
囁いた。
怖いのだろう。
姫ちゃんは、力ずくで奪われる関係しか知らない。
「スティーブ・・・スティーブ・・・。」
シーツを掻き毟る小さな爪。
何もかもが小さな姫ちゃん。
この躰で、あの地獄のような日々を耐え抜いたのか。
「ん・・・ぁ。」
「ごめんね、姫ちゃん。」
キングサイズより一回り大きな特注ベッド。
真っ白なシーツの海に溺れて上り詰めてゆく。
過去の記憶に囚われ怯える躰。

本当の快楽を知らない    貴女(ひと)。

教えてやりたい。
ふと、思った。
それは、鮮烈な欲望。
勿論、無理やりでは駄目だ。
病院での検査もある。

それでも、今しかないような気がした。

ならば・・・。

「姫ちゃん・・・ちょっと我慢してくれる?」
「ふ・・・?」
「怖くないから・・・。」
「スティーブ・・・?」