天井から雨が降っている。
シャワーというよりは、雨。
ホテルのバスルームに響く雨音。

「黒髪の人魚だね。」

スティーブの声が、耳の後ろで囁いた。


「スティーブ。濡れちゃうよ。」
「大丈夫。どうせすぐ脱ぐから。」

シャワーの下に立たせた私の後ろに立ち、スティーブは髪を洗ってる。
私の長い黒髪を。
品の良いVネックの黒いセーターがびしょ濡れ。
多分、カシミアだと思う。
黒のジーンズは細身で。
黒革のブーツには装飾のベルトが並び、ブランドのロゴが小さく光る。
どれも手入れが大変そうなのに。
それなのにシャワーの下で気にも留めない。
確かこのホテルのクリーニングは有名だったような気がする。
靴までしてくれるんだろうか。
そんな事を気にして、ただ、大きな手に身を任せる。

「目を閉じて。上を向いて。」
言われるまま、そうした。
基本的に、私はスティーブに逆らう事はしない。
逆らわなければならない事をスティーブが言うはずもないけれど。
泡だらけの大きな手で顔を包まれて。
包まれたかと思ったらシャワーが泡を洗い流してゆく。

天井からの雨が止み。
肌に纏い付く長い黒髪を束ねられ。
頭を柔らかなタオルで巻かれターバンの出来上がり。
本当にスティーブは器用だ。羨ましいくらい何でも出来る。
「ありがと。」
振り向きもせずお礼を言うと、抱き締められた。
「どういたしまして。ヘアサロンの予約入れなきゃね。」
この一年半、手入れなどしていなかった髪の痛み。
離れていた時間をそこに見つけて、スティーブは小さく溜め息を吐いた。

手足に残る虫さされの痕も目敏く見つけてしまうスティーブ。
指先で足首の小さな痕に触れる。
「虫に刺された?」
「うん。畑にいると、どうしても。」
「ちゃんと虫よけしなくちゃ。」
「してたけど・・・。」
スティーブ・・・?
妙に゛虫よけ゛の所に力を入れた気がしたけど。
なに?
聞く間もなく、私の躰は真っ白な泡に包まれた。
薔薇の香りがするボディソープ。
大きな手のひらが私の躰を這い回る。
「脚、開いて。」
「・・・。」
「大丈夫。何もしないよ。」
スティーブの言葉に、いつも嘘はない。
思えば、誰よりも私の躰を隅々まで知ってるのはスティーブだ。
初めてウィンに傷つけられた時も、スティーブがこの躰を洗ってくれた。

後ろから抱き締める腕に支えられて、おずおずと脚を開いた。。
私の躰の隅々まで洗う手のひらが脚の間に差し込まれ、指先が触れる。
ゆっくりと確かめるように動く指先。本来は誰にも触れさせてはいけない場所。
でも、スティーブに触れられるのは初めてじゃない。
「大丈夫。何もしないから。」
もう一度囁きが聞こえて、長い指先が滑る。
その動きにビクビクと躰が跳ね、膝が抜けそう。

怖かったのは、躰に残る記憶。
刻みつけられた快楽という名の傷。
どれほど拒んでも、与えられ続けた。
私の心が壊れても、溢れるほどに。

「スティーブ・・・。」
震える声で呼ぶ。
顔が見えないのが怖い。
「大丈夫だよ。もう終わった。」
耳の裏側で囁く声。
シャワーヘッドから少し熱めのお湯が溢れ、私の躰からすべての記憶を洗い流す。
背中に押し当てられた唇。
その感触だけを残して。

抱き上げられて、バスタブに恭しく降ろされた。
少しぬるめの乳白色のお湯に薔薇の花々が浮かぶ。
脚を伸ばしても余裕の大きさ。
お湯は浅く張られ、私の胸の下辺りまでしかない。
その理由は解ってる。

セーターやジーンズやブーツが脱ぎ捨てられて、小麦色した肌が白い泡に包まれる。
大きな背中。長い手脚。充分筋肉が付き引き締まった身体に隙はない。
骨ばった長い指が金の髪を掻き上げる。
そういう事に疎い私でも、セクシーだと思う。
何を食べたら、こんな完璧なボディが作れるんだろ。
こうしてマジマジと男の人の身体を見たのはスティーブが初めて。
それ以外の男の人の身体は見た事がない。
ウィンとベッドで過ごす時は、そんな余裕なんてなかったし。
ディアンさんは、気まぐれに私の躰を抱き捨てるだけだった。
だからこうして一緒にお風呂に入るのはスティーブだけ。

シャワーを浴びたスティーブが、近づいて来る。
二人の間には何も隠す物はない。
目のやり場に困った私は、前面に広がる窓の外に視線を移した。
暗い空に、星はない。
大きな身体が私の背中からバスタブに滑り込む。
水嵩がまして、私の躰はすっかりお湯に浸る。
薔薇がくるくる回って、泳ぎ回る金魚みたい。
「ぬるい?」
「ううん。丁度良い。」
すっぽりとスティーブの腕の中に納まって、私は厚い胸板に背を預ける。
一つのバスタブの中、裸のまま二人で過ごす。

不思議な関係。
誰に話しても信じないだろう。
こうしていても、私達には男と女の関係はない。
逞しい腕が私の素肌を抱き締めていても。
耳朶を甘噛みし、大きな手のひらが肌をはい回っても。
確かに雄としての反応があっても。
それを私が感じていても。
スティーブは、決して私を求めて来ない。

「全身エステ。決定。」
「明日?」
「疲れてる?」
「うん。」
「じゃ、明日は寝ていていいよ。」

私の首筋を舐め上げながら、スティーブはスケジュール調整中。
そっと私の手首を掴み、持ち上げた。
「ネイルサロンにも行かなくちゃね。」
「一日に全部?」
「うーん。全身エステで一日。ヘアサロンとネイルサロンで一日。どうかな?」
「それなら・・・なんとか。」
昔の生活が戻って来たよう・・・。
違うのは、私の意志を無視されない事。
勿論。少なくてもスティーブは私の意志を無視した事などないけれど。
ウィンは、何もかも強引だったから。

暖かい腕の中にいると、躰が疼く。
忘れていた過去が、蘇る。
散々弄ばれた躰。
たった一年半じゃ、すべてを忘れるなんて無理だった。

「買い物にも行かなくちゃね。」
囁くような優しい声。
ずっと、この声に、この存在に救われて来た。
「眠ってもいいよ。」
「うん。」
そっと顎を持ち上げられて、後ろから貪るように接吻けられた。
でも、それだけ。
疼く躰はそのまま。


咲おばあちゃんはどうなっただろう・・・。
飯田さんの事だから、きっと上手くやってくれると思うけど。

意識がぼやける。
暖かさに抱かれて、眠くなって来た。
「璃羽・・・。」
囁く声に、涙、ぽろり。



    再会 Z    



久し振りに確認した。
その白い肌。
触れて、すべてを取り戻したかった。
それにはバスタイムが有効。
ピロートークでもいいけど。
多分姫ちゃんは寝てしまうだろう。

農家で働いていた姫ちゃん。
この華奢な躰で肉体労働なんて無理だろうと思ってた。
でも、オレの予想に反して健康的になっている。
僅かに付いた筋肉を手のひらが感じ取る。。
手足に小さな傷があった。
本当に畑仕事をしていたんだと実感した。
虫にさされた痕を幾つか見つけて、ふと、病院にいたあの男を思い出す。
恋する眼差し。
朴訥な男。
見た目で解る。
あれは姫ちゃんに恋してる目。
でも、もう終わり。
姫ちゃんはオレと一緒に帰るんだ。

姫ちゃんの躰を隅々まで確かめる。
この一年半。
何があった処で関係ない。気にしない。
例え、誰かに抱かれていたとしても。
無理やり奪われたのでなければいい。
大体、姫ちゃんの過去を問い正せるか? このオレに。
散々姫ちゃんを傷つけて、家出までさせたオレ達に。
確かめたいと思ったのは、心配だっただけだ。
でも、その心配は杞憂に終わりそうだな。

オレ達と離れて、すぐに中絶をしたらしい姫ちゃん。
本当はすぐにでも入院させて、検査を受けさせたかった。
それをしなかったのは、少なくとも以前より健康そうに見えたからだ。
オバアチャンの事でやつれてはいたが、オレ達と暮らしていた頃からすれば健康的な
印象が強かった。
一年半。独りで頑張って来た姫ちゃん。
それが、オバアチャンを助けたい一心でオレに連絡をして来た。
本当なら、一生オレ達とは関わりたくなかっただろうに。
その為に逃げたのだろうに。
きっと、姫ちゃんを大事にしてくれたのだろう。
あの家族は。
だから、しばらく様子を見る事にした。
オバアチャンの治療の目途が立つまでここに滞在して、それからディアンの待つ家に
帰る。
それでいいだろう。

久し振りに触れた姫ちゃんの肌は、随分と荒れていた。
髪も傷んでいたし、爪は短く切られていて、汚れていた。
畑仕事をしていたのだから仕方ないが、当分はサロン浸けだ。
覚悟してもらう。

姫ちゃんの躰を洗って、バスタブに入れて。
さて、と迷った。
正直、オレといえど我慢には限界がある。
今まで姫ちゃんに手を出さなかったのはこちらに事情があったからだ。
ウィンに束縛され、ディアンに乱暴され。
その上オレまで妙な事をしたら、本当に姫ちゃんが壊れてしまう。
それくらいの理性はあった。

だが。
ウィンが逝き、ディアンが傍にいない今。
流石にキツイ。
出来れば、姫ちゃんに拒絶して欲しい。
なんて・・・考えが甘かった。
姫ちゃんは以前と変わらず、オレに対しては無防備だった。
試しに接吻けたりしてみたけど。
躰中触りまくってみたけど。
やっぱり抵抗する気なし。
無防備そのもの。
挙句、バスタブの中で、裸の男に抱き締められて、うとうと・・・。
これには参った。

でも、お陰でオレも腹を括った。
これほど素直に身を預けられると、返って手出しが出来ないものなのだ。
だってなぁ・・・。

眠ってしまった姫ちゃんをベッドルームに運んだ。
大きなバスタオルで躰を拭いてやって。
そのまま寝かせた。
オレはバスルームに逆戻り。
このままじゃ眠れない・・・。
なんでオレが自分で抜く訳? とは思ったが。
ほっといたら自制が利かなくなるのは目に見えている。
指先で触れた女の部分は柔らかくて・・・。
想像したら直撃だった。
いかん。やばい。

でも、すやすや眠る姫ちゃんの、安心しきった顔には負けた。
絶対、これ以上傷つける訳にはいかない。

内線でフロントを呼び出し、サロンの予約。
時期的に客は少ないらしい。
すべて貸切。
他に、何か忘れてる事はないか?
ない。

しばらくソファでワインを傾けていたが、姫ちゃんと再会出来て安心したのか、急に
眠気が襲って来た。
勿論、裸になって姫ちゃんの隣に滑り込む。
小柄な姫ちゃんは、オレの腕の中にすっぽり納まる。
抱き締めると懐かしい匂いがした。


窓の外は暗い海。
夏ならさぞ綺麗だったろう。