心を縛る鎖があったら。
きっと私は。
でも。

「さあ、どうぞ。」
「ディアンさん、ありがとう。」
「こちらはスティーブ自慢のフルーツタルトです。」
「見て、ウィン。凄く綺麗。美味しそう。」
「姫ちゃん。美味しそう、じゃなくて、美味しいの。」
「あ、そうでした。」

心を閉じ込める鍵が欲しい。
他には何もいらない。
ただ、君の心が欲しい。

「この紅茶、とってもいい香り。」
「気に入りましたか?」
「うん。いつもはティパックだから。ディアンさん淹れてくれたの初めて飲んだ時驚い
ちゃった。ぜんぜん違うの。」
「はは。ティパックに負けたら流石のディアンも泣くな。オレの影響で味には煩いんだ
よ。否、ウィンの影響だな。」
「そうなんだ。ウィン? どうしたの?」
「ん・・・ああ。少し考え事を。」
「あ。ごめんなさい。お仕事? 私、帰るね。」
「違うよ、璃羽。大丈夫。」
「でも・・・。」
「此処に居て。私の傍に。」
「ウィン?」
「オレ達某国民はお茶の時間を疎かにしたりしないんだよ。姫ちゃん。お仕事中でも
一時間はお茶するの。」
「ほんとに?」
「勿論。あれ? 姫ちゃん、オレ達に馬車馬の如く働けって言うの? そんな姿、オレ
達に似合う?」
「う・・・。に、似あいません・・・。」
「でしょ。」

心に形があったらいいのに。
そうしたら、鎖に繋いで、宝箱に閉じ込めて、鍵をかけて。

心が目に見える物であったなら。
心が触れられる物であったなら。

「タルト、もう一切れ如何?」
「スティーブ・・・私、太っちゃう。」
「大変結構。姫ちゃん痩せ過ぎ。はい。甘ーい桃がいっぱいのトコ。」
「うーうー。いつも誘惑に負けるぅ。スティーブの作ってくれるお菓子は美味し過ぎ。」
「もっともっと誘惑されちゃって。はい。」
「丸々の子豚になっちゃうよ。」
「可愛いじゃない。子豚姫ちゃん。うん。いいよ。」
「ひどーいっ。」

君の心が欲しい。
君を誰にも渡したくない。

此処に居て。
傍に居て。
私だけを見て。

この腕に閉じ込めたい。
私の魂に縛り付けたい。
身も。
心も。

けれど、私は気づいてしまった。
私と同じ想いを抱く男の存在に。

幼い頃から傍にいた。
だから、解る。
まるで関心の無いような顔をして。
その実。
いつもその気配に神経を配っている。
素知らぬ顔をして。
醒めた眼をして。
それでも。
いつも視線の端に璃羽を捉えて離さない。

「璃羽。今日は泊まっていって?」
「え? いい、いいよ。そんな、迷惑だよ。」
「どうして? 部屋ならいくらでもある。」
「だめだめ。お仕事の邪魔になったら困るもの。それに・・・。」
「それに?」
「ここ、広過ぎて迷子になる・・・。」
「そういえば、一度トイレからリビングに戻れなくなったね、姫ちゃん。くすくす。」
「・・・忘れてください。お願いします。」
「大丈夫ですよ・・・迷子になったら私とスティーブで捜しますから・・・。」
「そうそう。姫ちゃん専属の遭難救助隊になってあげるよ。」

自覚のない想いほど厄介なモノはない。
解っているのか。
そんな眼差しで女を見た事などない癖に。
紛れもない嫉妬だよ。
その視線。


君の心が欲しい。
ただ、傍に。
その願いは叶わない。
私には時間がない。

君が欲しい。
君だけが。

その願い。
この想い。
もしも。
叶うなら。

私は、何を犠牲にしてでも手に入れるだろう。


『いやぁぁぁぁ    っ!!』


悪い夢。
すべては、悪夢。
忘れなくちゃ。
忘れ・・・なく・・・ちゃ・・・。

「姫ちゃん・・・。」
「・・・。」
「涙、いっぱい。」
「・・・。」
「夢を見たの?」
「スティーブ・・・。」
「大丈夫だよ。怖くない。傍にいるよ。」
「スティーブ・・・。」

声を殺して泣き続ける。
ただの夢。
解ってる。
それなのに、心に刻み込まれた痛みが私を泣かせる。
初めてだった。
恋などした事もない。
誰かを愛するなんて、私には赦されない事だと知っていた。

嬉しい事、楽しい事、いっぱいあった。
ウィンと再会して。
夢のような時間を確かに過ごした。
一生の思い出になるはずだった。

引き裂かれたTシャツ。
まるで私の躰そのもの。

怖かった。
痛かった。

汚れた躰。
流れた血。
綺麗に洗ってくれたのはスティーブだった。

涙が止まらない。
助けてっ・・・助けて・・・っ。
声にならない叫びが涙に滲む。
大きな手のひらに頬を撫でられて。

「泣いてもいいよ。オレしかいないから。」
うっ・・・くっ・・・。
「笑う事を覚える前に、泣く事を覚えるべきだったね。」
うぐっ・・・う・・・く・・・っ。
「いっぱい泣いたら、ヘリで夜景を見に行こう。ね?」
ひっく・・・うくっ・・・ふ・・・ぁ。

スティーブ、スティーブ。
スティーブスティーブスティーブっ。

「怖かったのっ。痛かったのっ。誰も・・・誰も助けてくれなかったのっ。」
「姫ちゃん。」
「うっく・・・うぐっ・・・。うっえっ・・・。」
「ごめんね。姫ちゃん。」
「叫んだのにっ。やめてって。助けてって。叫んだのにっ。」
「うん。」
「いや・・・って。やだっ・・・て。泣いて・・・お願いした・・・のにっ。」
「解ってる。もう、誰も姫ちゃんを傷つけたりしない。約束する。必ず護るよ。」
「スティーブっ。えっえっ。くぅぅっ。」

誰にも言えなかったの。
誰も傷つけたくなかったから。
辛かった。
苦しかった。

「もう、大丈夫だよ。オレがついてる。傍にいる。」

青と、灰色と、白・・・。
それが。
私の知る世界のすべて。
白は雪の色。
灰色は病院の壁の色。
青は教会のステンドグラスの色。

でも、今は・・・。
ああ、今の私が知る碧は。
スティーブの、瞳の色、だ。



    再会 ]    



「甘いんだよ、お前は。」
『・・・。』
「確かにレオを出廷させたのはオレだ。確かめたい事があった。」
『確かめたい事?』
「あの女が、どうして突然強気に出て来たか。裁判なんてやったって勝ち目はないはず
なのに、だ。何かあると踏んだ。」
『それで。』
「案の定、出て来た。」
『何が?』
「お前だ。」
『私・・・?』
「そうだ。」

お前がウィンと最後に過ごした三日間。

『・・・。』
「あの女はそこを衝いて来た。」

ウィンとディアンの最後の三日間。
オレも姫ちゃんもいない三日間の闇。

医師と看護師が定期的に様子を見に行ったが、それ以外は二人きりの病室。
けれど、看護記録に残る病室の様子。
何もないようでいて、異質な空気の張り詰めた室内。
文字のそこ此処に残る看護師の戸惑い。

「交通事故は偶然だ。殺したってこっちが得する事など何もない。ただ、痛くもない
腹を探られるのはオレの趣味じゃない。愛人の方には釘を刺すようレオに言った。
その後で事故が起きようと、何があろうと、オレの知った事じゃない。喧嘩を売る方
が悪いんだ。このオレにな。」

ああ、お前の想像通り釘を刺しまくっておいたさ。
致命傷になるくらい、な。
姫ちゃんに手出しはさせない。

「お前、何甘い事やってんだ。姫ちゃんは何も知らないんだぞ。」
自分が遺産相続人である事さえ、姫ちゃんは知らない。
教える暇がなかった。
言い訳ではなく、ウィンの遺言により、遺産相続の手続きが終わってから知らせる事
になっていたのだ。
そもそも、この遺言書は不自然だ。
最初から結婚してしまえば良かったのだ。ウィンは結婚などしていなかったのだから。
そうすれば余計な手続きなどしなくても、自動的に遺産は姫のものになったはずだ。
何より、最初から結婚を前提としていれば、姫ちゃんとの関係が此処まで拗れる事は
なかった筈だ。
だが、ウィンはそれをしなかった。
なぜだろう。
『・・・何・・・を。』
「オレを舐めるな。お前、ウィンに何を言った。」
そして、最期の三日間。
ウィンは何を思ってディアンだけを傍に置いたのか。
すべてに気づいたのは、ウィンの、あの言葉を聞いたからだ。
『何の事だ・・・。』
「最後の最期に反撃を喰らったクセに。あの一言は、お前への報復だろうが。」

死んでも離さないよ    璃羽。

あれは、ディアンに対するウィンの報復だ。
一人の女を巡って対峙してしまった二人の最後の駆け引き。
それが、あの三日間。
案の定、詰の甘いディアンはウィンにしてやられた。
最後の最期。
ウィンは易々と目的を達してしまった。
その為の、最高の手段。
ディアンに対する最高の報復は。
姫ちゃんをディアンから奪い去る事。
あの一言で、ウィンはあっさりと目的を達してしまったのだ。

「だからお前は姫ちゃんの耳を塞ぎ、視界を閉ざした。違うか。」
『・・・。』
「ウィンは長い事財産目当てで近づいて来る金の亡者共と渡り合って来た兵(つわもの)
だぞ。オレ達なんて赤子同然だ。何処をどう衝けば最大のダメージになるかなんて知り
過ぎてる。現に、お前は一度姫ちゃんを失った。子供まで、だ。」
『スティーブっ。』
「悲鳴を上げるのは姫ちゃんの特権だ。お前が叫んでも可愛くない。まんまとウィンに
報復されて、挙句、今度は遺産相続でまで姫ちゃんを泣かせる気か。あの女は何処から
か看護記録を手に入れて、お前がウィンを殺したんじゃないかと疑いを持った。」
『バカな。』
「バカはお前だ。事実は違っても、他人が信じたらソレが真実になってしまうだろうが。
それがあの女の狙いだ。一石二鳥を狙ったんだろ。お前と姫ちゃんの二人から相続権を
奪って、後は離婚の際の調停内容に再度文句を付ける。ウィンもその父親も死んでるん
だから、夫婦の真実は解らん。何とかなると愛人が入れ知恵した。まぁ、短絡的で計画
は甘く、オレを敵に回すには笑えるくらいボロボロだけどな。」
『それで・・・。』
「何も。後はレオが愛人の過去を調べただけだ。子供時代にまで遡ってな。他人が信じ
りゃ嘘も真実になる。例え身に覚えがなくても、例え事故でも、他人が犯罪と信じれば
事件になる。それをこっちもやっただけだ。小心者にはそれがなにより効く。」

いいか、ディアン。
相手がどんなバカでも、無力でも、護りたいものがあるなら徹底的に潰せっ。
護りたいものが安心していられるように。
泣かずに済むように。
いつも、笑っていられるように。

『スティーブ・・・。』
「そんなんで姫ちゃんが護れるかっ。おバカ。少し反省しろ。」
いつだって見本を見せているのに。
どうしてお前は、そう甘いんだ。

『・・・姫は・・・。』
「元気だ。表向きは、な。文子と会って、かなり落ち着いたが、まだまだ精神的に不安
定だ。当然だろうな。オレと再会して悪夢も再び、だ。」
『・・・。』
「言ったろう。心の傷は眼に見えない分厄介だ。一生姫ちゃんの記憶から消える事なん
てない。ウィンが死んでも、続くんだ。姫ちゃんには現在進行形なんだよ。」
『泣いて・・・いるのか・・・。』
「この間、わんわん泣いた。それからは時々メソメソしてる。」
『そう・・・か・・・。すまない・・・。』
「ふんっ。情けない声を出すな。で、どうする?」
『どう、とは。』
「こっちへ来る気、あるのか?」
『っ・・・。』
「自信がないなら来るな。迷惑だ。でも・・・逢いたいだろ。お前。」
『逢っても・・・いいのか・・・。』
「ダメだと言って欲しいのか。」
『いや・・・。』
「ハッキリしろ。」

『逢いたい・・・。当り前だろう。死ぬほど心配した。自分が殺された方がマシだった。
この一年半。ずっと、鳴らない電話に祈ってた。せめて、せめて声だけでも、と。』

身悶えるほど願い続けた・・・。
『逢いたい。』

「だったら、来い。そして、マジで殺されてやれ。」