病院は嫌いじゃない。
哀しい思い出が多い中にも、救われた記憶があるからだ。
私に生まれて初めての温もりを与えてくれたのは、病院の看護師達であったし、
優しさを知らなかった私に絵本を読み聞かせ、添い寝をしてくれたのも看護師達だった。
両親という存在と別れたのも病院であった。
ある日、母親という存在は、私の両肩を痛いほど掴み、医師に詰め寄った。
この子の心臓を移植できないのか、と。
父親という存在もそれに続いた。
他人の子供なら無理でも、ウチのコなんだから使ってくれ、と。
兄の心臓は、既に海外移植を断念せざるを得ないほどに悪化していたのだ。
そうなると、国内での移植しかない。
だが、ドナーがそうそう見つかる訳もなく、兄の命は風前の灯火だった。
私の両親という存在は、息子の命を救う為、娘の心臓を使ってくれと医師に迫ったのだ。
医師は青褪め、児童相談所に通報し。
結果、両親という存在はカウンセリングの為精神科へ入院。
私はそのまま施設に入った。
その後、一度も両親という存在にはあっていない。
兄は、その日から数日後に亡くなった。
私は、それから施設という施設をタライ回しにされた。
何処の施設も私の受け入れに難色を示したのだ。
私の兄は、いわゆるアイドルと呼ばれる存在だった。
赤ん坊の時から幼児商品のモデルを務め、小学校に入る頃にはドラマの子役、
映画の声優までもこなす人気の芸能人。
元々サラリーマンだった父と普通の専業主婦だった母は、息子の誕生とデビューを
機に個人プロダクションを経営。
兄の人気が上がるにつれ、セレブ気分でテレビにも頻繁に顔を出していた。
だから、兄の死後。
病院での出来事が外部に知れると、ワイドショーは毎日のように死んだ兄と、その
妹の心臓を移植しろと医師に詰め寄った鬼畜な両親の話で盛り上がってしまった
のだ。
それはそれは、人道にも劣る親と、悲劇の娘として暴かれる私の生活。
何処の施設も、ワイドショーに取り上げられる少女Aの引き取りを拒否したのは仕方ない
事だったのだろう。
そんな私が最後に辿り着いたのが、小さな教会の運営する孤児院だった。
春になると、庭の大きな桜の木に満開の花が咲く小さな教会。
ボランティアと、信者の寄付によって運営される貧しい施設。
雨が降ると、施設の食堂の半分は雨漏りで床が濡れ、時々ツンとカビの臭いがした。
アジア系の混血児の多いその施設で、私は陰湿なイジメに合いながら暮らし。
そして、6歳の春。
彼に出逢った。
再会 U 。
何も望まない貴女(ひと)だった。
養父であるウィンに連れられ、ディアンと共に入った教会。
日本の片隅の町にある。
小さな小さな施設。
町自体は都会と呼ばれる大きな都市であったが、教会はその都会の片隅にひっそりと存在
しており、更に孤児院と呼ばれる施設は古く、小さく、隠しようもなく貧しかった。
17年ぶりだ・・・。
そう言って懐かしそうに庭を眺めるウィンの目に、あの大きな木はどう映っていたのだろう。
祖国の邸(やしき)にも、そういえば同じ桜の木があった。
養子としてディアンと共にウィンに引き取られた時、新しい住まいとなった邸の庭で、オレ達は初め
て桜の花の咲き誇る様を見た。
満開の桜。
けれど散り急ぐ花。
ディアンと二人。
その大木の下で食事をするのが好きだった。
ウィンには、何か大切な思い出があるようだったが。
そのクセ、彼は桜に近付こうとはしなかった。
邸の自室から見える場所に桜を植え、それを毎年窓から眺め見る。
花が降り注ぐように散り出すと、切なげに俯いて、その花びらをオレ達に拾わせた。
桜には匂いがない。
そんな花びらを小瓶に詰めて、毎年、毎年、彼は部屋の片隅に飾っていた。
何の意味があるのか。
それを知ったのは随分と後の事だった。
あの貴女(ひと)と再会した時のウィンの顔を、今でも忘れる事は出来ない。
彼が、あんな眼差しで女性を見るなんて。
優しさと、愛情と、切なさと、少しの戸惑いと。
その入り混じる感情は、彼女の見開かれた瞳からポロリと零れた涙に瓦解して・・・。
あんな悩ましげな彼を、オレもディアンも知らなかった。
彼は、無言のままにあの貴女(ひと)を抱きしめ、無言のままに髪に顔を埋め、ゴメンネ・・・、と
囁いた。
戸惑う貴女(ひと)の白い頬を大きな両の手で挟み、その濡れた瞳に自分を映して儚く笑う彼の横顔。
「ウィン・・・。」
震える優しい声に名を呼ばれた刹那の、苦しげな彼の表情。
彼の止まっていた時間が、その瞬間に動き出した。
そう・・・。
あの瞬間まで、彼の時間は止まっていたのだ。
16年一緒に暮らして来たのに。
オレ達は、彼の事を何も知らなかった。
あの貴女(ひと)と出逢って、オレ達はそれを痛烈に自覚した。
彼が、どれほどあの貴女(ひと)を愛していたのか。
どれほどあの貴女を愛し、あの貴女を求め、狂っていたのか。
そして、その事が、オレ達の運命を大きく変えてしまうなんて・・・。
「・・・。」
プロペラの爆音に掻き消されたその名を呟く度、胸の奥がキリキリと痛む。
泣かせたかった訳じゃない。
傷つけたかった訳じゃないのに。
舌の上に広がる苦味。
これは、あの日味わった涙の味か。
それとも・・・。