ピアノの音に混じって雨の音。
雨は嫌い。
辛い思い出ばかりが残っているから。

隣の温もりがなくなって、ふと目覚めた。
また別の寝室に運ばれたらしい。
お風呂まで入れてもらっているのに、目覚めるのはいつも後。
スティーブは優しい。
そんなに優しくされる資格なんて私にはないのに。
いつもいつもそうだった。
スティーブは、私を大切に大切にしてくれる。

私の大好きな曲が、ゆっくりとゆっくりとピアノで奏でられる。
本当は弦楽器が好きだというスティーブ。
でも、いつの間にか私の好きなこの曲を覚えてくれて、ピアノで聴かせてくれる
ようになった。
一度、ヴァイオリンでも弾いてくれたけど、この曲はピアノの方があってるかな。

重い躰を起こして窓辺に立った。
何も着ていなかったから、チンチラのストールを羽織って。
バスタオルみたいに大きなストール。
でも、スティーブが纏うと普通の大きさに見える。

毛皮は沢山買ってもらったけど、結局チンチラ以外身につけた事はなかった。
初めて触れた時、するんっ、と手のひらを滑った感触。
それがとても気持ち良くて。
ハムスターもこんな感じかな、と言ったらウィンに苦笑された。
未だにハムスターを触った事がないから解らないけど。
手のひらの感触が生き物みたいで、ふわふわでもこもこで、するんっ、で。
やっぱりチンチラが好き。

いつの間にかピアノの音がとまり、寝室のドアが開いた。
窓辺に立つ私の髪を、スティーブの大きな手が撫でる。
ウィンに出逢った子供の頃、既に長かった私の黒髪。
それが『姫』という愛称の原因だ。
ウィンが知る日本のおとぎ話に登場するお姫様の長い黒髪。
そのイメージが私の黒髪と重なったらしい。
『姫』と呼ばれる度くすぐったくて。
でも、それにもすぐ慣れた。

「雨だね・・・。」
「うん。」
「姫ちゃん。雨、嫌いだね。」
「うん。」
「早く、雪になるといいね。」

優しく肩を抱いて、私の隣に立つスティーブ。
笑えるくらいの身長差。
ここにディアンさんがいたら、私はドーベルマン二頭に挟まれたチワワだ。
あるいは、二頭の豹に見下ろされるハムスター。・・・こっちの方が合ってるかも。
そんな様を想像してくすくす笑ったら、ガラスの中のスティーブが小さく首を傾げた。

夜空を透かし見る窓ガラスはまるで鏡だ。
私の醜い心まで映し出されそうで怖い。
勝手に逃げたのに。
困った時だけ、こうして甘えて。
まるで、すべてが元に戻ったように。
私。
当り前のようにスティーブと並んでる。

「指輪・・・ありがとう。お礼、言うの遅くなっちゃった。ごめんなさい。」
「お守りだよ。安物だけどね。飯田には本店から取り寄せろって言われた。」
「そんな。とっても綺麗だよ。サイズもぴったり。本当は高かったでしょ?」
「それが・・・この近所で衝動買いしちゃったから。ゴメン。ホント、安物。」
「ううん。値段なんていいの。安くていい。私。高価な物をもらっても、どうして
いいのか解らないもの。」

左手の中指。
くすぐったいほど綺麗な輝き。
本当はとても高い物だって解ってる。
ひと眼で解るよ、スティーブ。
私なんかにはもったいないって事も。
解ってるんだ。
でも、スティーブが着けてくれたから外せない。
外したくないよ。
いつもいつも、申し訳なくて涙が出そう。
スティーブも、ディアンさんも、私に優し過ぎるのだ。

「明日、ディアンが来るよ。」
「・・・そう・・・ですか・・・。」
「逢いたくないなら、キャンセルするけど。」
「・・・いいです・・・。」
「そう?」
「はい。」
「どうしてかな。」
「え。」
「ディアンの話になった途端、姫ちゃん敬語になった。」
「・・・。」
「さん、付けの件も、まだ聞いてなかったけど。」
「・・・解らないです・・・自分でも。」
「そっか。」
「はい。」
「姫ちゃん。オレ達には我儘でいいんだよ。言いたい事言って。泣いて笑って。
それでいいんだよ。無理なんてしなくていい。」
「スティーブ・・・。」

ガラスに映るスティーブの顔。
少し、辛そう。
私がそんな顔をさせてる。
いつも笑っていて欲しいのに。

小麦色の肌に、白い長袖のTシャツ。長い脚に張り付く黒革のパンツ。
いつも付けていたダイヤの立て爪ピアスは、いつの間にか青いダイヤに変わってる。
私にプレゼントしてくれた指輪に合わせたのかな。
スティーブは、さり気ない事を、さり気なくしてくれる。
性格的にも大人の部分と子供の部分がとてもよく混ざり合っていて。
傍にいると、とても安心出来る。

だけど。
ディアンさんの場合は、そうはいかない。
出逢った時から、嫌われていた。
多分、私という存在を、生理的に受け付けられないのだろう。
解っていたから、距離を置き続けた。
少し離れた処から眺め見ているだけで幸せだった。
恋とか愛とか、そんなんじゃなく。
ただ、憧れていた。

美しい人形。
例えば、美術館の中央。
ガラスケースの中にある美しい美術品。
触れる事なんて出来ない。
溜め息さえも噛み殺して眺めてるだけ。
そのひと時が、幸せ。

でも。
それすらも赦されないと知った。
あの日。
泣いても、叫んでも、終わらない時間。
続く地獄。
私はただ。
過去を懐かしみ、再会を喜び、共に過ごせる短い時間に感謝して。
それだけ、だったのに・・・。

何も言わない。
ただ、私の躰を開いて、強引に繋がるだけ。
噛み締めた唇が切れて血が流れても。
ただ、冷たく見下ろして。

『逃げようなんて思わない事です。
貴女はただ、ウィンに繋がれていればいい。
それで一生が保障されるなら、安いものでしょう?』

抱き捨てられる躰。
吐き捨てられる言葉。
私に残されるのは。
恐怖と、痛みと、悲しみと、諦め。
軋む躰の奥から流れ出すのは、血の混じったただの白い排泄物。
泣きながら這うようにバスルームへ。
惨めで、辛くて、笑った。
乾いた笑い。
それが、私とディアンさんの関係を表すのに丁度良い。

ウィンが死んで。
私は逃げた。
捨てられる前に。
すべて捨てた。

『独りにしてごめんね、姫ちゃん。
もうすぐ戻れるから、待ってて。待っててね。』

最後に聴いた電話越しの声。
スティーブの言葉に泣きながら。
そのまま、部屋を出た。

すべてが終わって。
もう、私を必要としている人はいない。
ウィンの優しさも、激しさも、痛みも、もう戻らない。
だから。

明日、ディアンさんが来る。
逢うのが、怖い。
でも、逃げてもいられない。
私を蔑むあの翠の瞳。
無理やり私の躰を押し開く冷たい手。
だけど、ウィンはもういない。
嫌々私を抱く理由など、もうディアンさんにはないはずだ。
大丈夫。大丈夫。
何度も自分に言い聞かせる。
再会するだけの事だ。
何も起こる筈がない。

「姫ちゃん。」
優しく呼ばれて、我に返った。
「ディアンと会うの、怖い?」
スティーブには何も隠し事が出来ない。
小さく頷くと、逞しい腕が私を抱き上げる。
「きっと、ディアンはもっと怖いと思うよ。」
耳に囁く声が、甘い。
窓ガラスの中で、スティーブが笑ってる。
意味が解らず首を傾げた。
でも、もう答えはない。
「スティーブ・・・。」
「ん?」
耳朶を柔らかに食む唇。
私の言葉は、続かない。

ベッドの端に降ろされて、脚を開かされた。
床に膝をついたスティーブが、私の脚の間に顔を埋める。
濡れた舌先。
蠢く。
私の中で。

ああ・・・気持ちイイ・・・。



    愛人 T    



「あ・・・あぁ・・・イィ・・・。」
やっと慣れてくれたかな。
「んァッ。あぁんっ。」
艶めかしい腰使い。
「ス・・・スティーブ・・・あぁ。」
控え目で初々しい姫ちゃんもイイけど、こういう大胆なのもソソるね。
「ん・・・姫ちゃん。ココ・・・美味しい・・・んっ。」
舌先で嬲って、言葉で煽って。
ああ、もうこんなに濡れて。
本当に感じ易いな。
「ゃあぁっ。ふぁぁっ。」
「姫ちゃん、可愛い・・・もっと声出して・・・イイよ。」
ベッドの端に座らせて。
何をされるのか理解する前に膝の間に身体を挟め、両手で細い膝を掴むと左右に開き、
有無を言わさず顔を埋めた。
仰け反る白い背中。
両肘で上半身を支えて、細い喉を晒して、乳房を突き出して。
首を激しく左右に振る度、長い黒髪がシーツの上で波打つ。

これは、なかなか・・・。
色っぽい。

「姫ちゃん、凄く綺麗な色してる・・・。」
「や・・・ぁっ。見な・・・い、でっ。ゃだぁ。」
「どうして? こんなに綺麗なのに。花弁が何枚も重なって・・・やわらかい。」
「んっ、んっ、んぁっ。」
「隠さないで。全部見せて。知りたい。姫ちゃんのすべて。」
「ス・・・てぃ・・・あっ、んあっ。」

この一年半、男はいなかったらしい。
世話になっていた農家の男に結婚を申し込まれたと聞いたが、身体の関係はなかった
ようだ。
反応のすべてが初々しくて、真っ赤になって恥じらう顔が可愛くて、それが見たくて、
つい。
「姫ちゃん・・・イッて。」
舌先と一緒に中指を奥深くに送り込んだ。
途端、ビクビクと跳ねる細い腰。
「ンァアッ。イッイッ・・・アアァ    ッ。」
甘い蜜が溢れて、ザラつく舌先がそれを受け止めた。
やわらかくて熱い花弁が痙攣してる。
「ん・・・美味しい。」
全身が赤く染まって、汗が滴って、凄く・・・卑猥なくらい、色っぽい。
これは。
早く検査を受けさせて、ぜひ聖域の感触も確かめてみたい。
舌や指の感触からいって、ナカは酷く締まりが良さそうだ。
「はぁ・・・はぁ・・・は・・・ぁん。」
息の整わない姫ちゃんの隣に添い寝して。
「悪くない・・・。」
耳元で優しく囁いた。
何が、と聞く気力もないのか、甘ったるい視線だけがオレを見る。
「姫ちゃん。愛してるよ。」
頬にチュッと口付けて囁くと、姫ちゃんは薄く笑った。

汚されても穢されても、どうしてこんなに優しく笑えるのだろう。

オレ、充分姫ちゃんの弱みにつけ込んでるよ?
凄く悪いヤツになってるよ?
それなのに憎くないの?
これでも怖くない?
オレ、ウィンやディアンより酷い事してるよ?
その自覚があるよ?

それなのに、この綺麗な微笑み。
ウィンやディアンの執着の意味が、やっと解った気がする。

「・・・スティーブ。」
「おやすみ、姫ちゃん。オレはいつだって傍にいるよ。」
「・・・うん。」

姫ちゃんが深い眠りに落ちるまで、ずっと背中を撫でていた。
腕の中の小さな躰は、やわらかくて、熱くて。

まだ、再会して三週間くらいだけど、四人で過ごしたあの一年半よりも、ずっと近く
にいる気がする。
ウィンに抱かれて泣いていた姫ちゃん。
ディアンに抱かれて傷ついていた姫ちゃん。
オレはいつも傍にいたけれど、誰よりも傍にいたつもりだけど、こんなに身近に感じ
た事はない。

ああ、姫ちゃんってこんなに可愛かったんだな。
壊れ物みたいに繊細だけれど、実はこんなに熱かったんだ。
抱けば抱くほど離れられなくなる。
毎日微熱で煽られる。
堪らない。
この熱さ。
抱き寄せただけで濡れてくる。
この感覚。
もう、夜毎この躰に溺れそう。

「悪くない。悪くないよ、ディアン。」

最初はお前の為にと思っていたけれど。
お前を怖がる姫ちゃんに、本当の快楽を教えるだけのつもりだったけれど。

堕ちちゃったよ、オレ。
どうしようもなく堕とされちまった。
抗う術すら見つけられない。
他の女じゃダメらしいし。
ヤバい。
ヤバ過ぎる。

「オレのモノになる? 姫ちゃん。」

お前の出方は解らないけれど。
例え、お前がどう出てもオレは引く気もないけれど。
うん。
いいんじゃないか?

二人で、姫ちゃんを所有しても。
否。
オレ達が姫ちゃんに所有されても、か、な。

明日の、お前の反応が愉しみだよ。
ディアン。