【卯の花の 咲くとは無しにある人に 恋ひや渡らむ 片思いにして】

卯の花の咲くようには心を開いてくれないあの人を、これからも恋い
慕うのだろう。片想いのままに・・・。(万葉集 巻10-一九八九)


    片恋の詩    


果たされなかった約束を。
ただ、果たしたいと願っただけなのに。
残された時間の儚さが。
ただ、恨めしい。

出逢った時は幼子で。
再会した時は哀子で。

流れ落ちる黒髪に、過ぎ去った時の長さを感じとる。

ただ、逢いたかったのに。
それだけの事だったのに。

どうして。
こんな事になってしまったのか。

病に蝕まれた身体が、ぬくもりを欲して縋り付く。
白く、儚い、哀しい夢に。

ただ、消えてくれるな、と。
力づくで貪りついた。
細く、脆い、過去の誓に。

解っていたのに。
もう、その心は己の下にはないのだと…。


「憎んでいるか?」
「ええ。」
「恨んでいるか?」
「ええ、とても。」

眼に映る白い天井。
耳障りな機械音。
鼻をつく薬品のにおい。
凍える心臓。

それなのに。
彼の声音に血だけが熱い。

「璃羽は渡さない・・・。」
「もう、終わるんです。」
「置いてなど、逝かない。」
「彼女を道連れになどさせません。」
「人を愛した事などないくせに・・・。」
「そうですね。ならば、この想いは初恋とでも言うのでしょうか。」
「ディアン・・・。」


「同じ言葉を貴方に返しましょう。姫は、渡しません。」


なぜだろう。
再会する前から感じていた。
この氷の美貌を持つ男は、きっと彼女を愛するだろうと。
自分から彼女を奪う事が出来るのは、きっとこの男だけだろうと。

我が子として育てて来たからか。
それとも、魂の餓えが己と似ているからなのか。
誰よりも孤独を好みながら、誰よりもぬくもりを欲している。

「璃羽は、お前を愛しはしない。」
「解っています。でも、私には時間がある。」
「・・・。」
「私が傷つけた。身も心も。」
「・・・。」
「でも、私には時間が味方してくれる。」
「味方・・・か。」
「時間を掛けて、一生を懸けて、償います。身も心も。癒えるまで。」
「変わったな・・・お前は。」
「ええ、ウィン・・・自分でも、驚くほどに。」

満たされない心に、必死で足掻いていたのはいつだったか。
救われない魂に、この男が絶望していたのは、いつだったのか。

「卯の花の・・・咲くとは無しにある人に 恋ひや渡らむ 片思いにして・・・。」

「万葉集・・・。」
呟くバリトンに小さく頷く。
「まるで、今のお前のようだ・・・。」
否。
それは彼女も同じか・・・。

「身も心も、癒えたところで・・・手には入らない。」
「それでも、構いません。生きて、幸せになってくれるなら。」
「生きて・・・幸せに・・・?」
「ええ。その幸せに、私が関わっている必要はありません。」

彼女の望む幸せが・・・。
「私から遠く離れた場所にあったのだとしても・・・それで、いい。」

「綺麗事だな。随分な変化だ・・・らしくない。」

そう・・・。
らしくない。
本気で相手の幸せだけを思っているのなら。
らしくないよ、ディアン。
でも。
お前が愛を語る様を見るのは、悪くない。
だから。

「純愛だね…。」
壊してしまおう。
私達の過去を、未来を。

「でも、渡さないよ。」
奪えるだろうか、お前に。

「璃羽は、誰にも渡さない。」
私が彼女に与える死への呪縛から。

「連れて逝く・・・。」
この狂った鎖から。

「璃羽は、私のものだ。」

果たして。
お前は璃羽を解き放てるのかな。
ディアン。



死んでも離さないよ・・・璃羽    



さあ、幕は上がった。
私は最期の手を打った。
過去も未来も、すべてを壊す一手を。

どうする?

奪えるものなら、奪ってごらん。
ディアン。
その先に待つものがなんであっても。
ただ、甘受して。
届かない想いの結末は。
もう、私には解らないのだから。



卯の花の 咲くとは無しにある人に 恋ひや渡らむ 片思いにして

    恋ひや渡らむ
            片想いにして     。    


『璃羽…愛し君よ…。』

私の想いは、もう。
決して叶う事は    ない    





暫く執筆から離れていたので肩慣らしの一本です。
みなさん気に入ってくれたら嬉しいな。
09.04.04



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