【恋は唐突に】第1話 りぃちゃんはペット。ええ、自覚あります。



 五年前の失恋の記憶は、未だ私を縛りつけている。
 最低、最悪。思い出すだけでも未だに涙が溢れて来るほど、あの失恋は辛かった。

 私には両親がいない。
 母は私が小学校3年の時交通事故で亡くなり。
 父は私が高校2年の夏に癌で世を去った。
 その上、最悪な事に、私の両親の親、つまり私の祖父母もすべて他界しており、一人娘だった私は文字通り天涯孤独の身。
 が、幸いな事もあって、母の保険金と父の保険金、そして一千万円近く残っていた家のローンは銀行の『ガン保障』とやらで0となり、少なくとも文
無しで路頭に迷う事にはならず、無事短大、専門学校を卒業し今に至っている。
 あ、私は平凡なOLだ。
 大手化粧品メーカーに勤めて二年になる。尤も、私は本社のド派手で斬新な高層ビルとは縁がないほど地味なセクションにいて、日々走り回って
いる。

 私、吾川璃樹(あがわりじゅ)24歳。過去のたった一度の失恋により恋人いない歴七年。つまり、あの失恋以来、恋愛とはおさらばした状態が続い
ているのだ。勿論独身。清く、正しく、会社と自宅の往復を続けている。ちなみに、自宅から会社までは電車を乗り継ぎ45分。昼食は手作り弁当持
参。母が死んでからずっと自炊生活なので料理は得意だし自信もある。尤も、和食が得意なのでお弁当は華やかさが少し足りない。自宅での食事
は勿論   虚しいけど   一人だし、友達を招く事もないのでOLになってからは手抜き料理が続いている。
 友達は多かった。これは過去形だけどね。あの失恋・・・私にとっては大事件があって人間不信に陥ってからは、かなり、人との距離をとるように
なって自然と友達は去って行ったのだ。弱い自分のせいだから仕方ないんだけど。
 だって怖いのだ。私の失恋は、ただ好きだった人に振られただけじゃないから。私は失恋で男性不信に陥っただけではなく、女の人にも不信感を
持ってしまった。極端な人間不信になってしまったと言っていい。だから、高校を卒業した後、告白してくれる男の人が何人かいたけどすべてお断り
。合コンなんて以ての外。もう絶対恋なんてしないと決めていた。

 しかし。
 そんな私の筋金入りな人間不信にも例外はあるらしい。
 それが今、眼の前で美味しそうに私の手作り弁当を食べている小田原蘭(おだわららん)様!! あ、彼女を様付きで呼ぶのは心の中だけ。え? そう
よ。彼女。蘭様は女性。それも飛びっきりの美女。
「おいしい。わたし、お婆ちゃん子なんだ。こういう煮物大好き。」
「よ・・・よかったぁ。あ、でも。ダイエットとか、食事に気を遣ってるんじゃ・・・。」
「ううん。そういうのヤだったから、この会社とだけ専属契約したんだよ。ファッション・モデルじゃないから、あまり体型とか気にしなくていいし。」
 いえ、貴女は充分過ぎるほど完璧なプロポーションです。私と同じ世界に住む、私と同じ女性とは思えません。ええ、天は二物を与えずと言います
が、蘭様はきっと例外なんです。
「そ、そうなんですか?」
「うん。わたし、中学1年の時にスカウトされたんだけど、成長期なのに『あれ食べちゃダメ、これ食べちゃダメ』って命令口調で言われて、それ、凄
くヤだったんだ。だから事務所とは一週間で契約切ったんだけど、田舎に帰りたくなくてこの会社とすぐに契約して。今思えばバカだった。二度とお
婆ちゃんの美味しい料理食べられなくなった。」
「え?」
「死んだんだ。わたしが中学3年の時。この会社の海外支店での仕事中に。脳溢血だった。泣かれるのヤで、それまで一度も田舎に帰ってなくて。
後悔しても後の祭り。お爺ちゃん死んで一人暮らしだったのに、いつも5分電話で済ませてた。ホント、バカ。」
 そうだったんですか・・・その気持ち、私にも解ります。私も、もっとお父さんといっぱいお喋りしておけば良かったって、もっと一緒にいれば良かっ
たって、死んでから凄く後悔したもん。
「あーおいしかった。ごちそうさま。」
「あ、おそまつさまです。」
「ふふ。その受け答え、好き。」
 どっきーんっ!! その微笑みは最強です。私、ときめきます、蘭様。
「ら、蘭さん・・・。」
 どきどき。
「ふふ。真っ赤だよ? りぃちゃん可愛いなぁ。」
 美しい貴女にそんな事言われても・・・ああ、最強の美貌が目の前に。
 私より5歳年上のはずなのに、何か、もう。性格なんて私みたいな人間不信女と違ってメチャクチャ可愛いし。おっとりしてるし。優しいし。礼儀作
法だって完璧。その上、気遣いの達人だ。
「お休みの日だったのに、我が儘言ってゴメンね?」
「と、とんでもないっ!! あたし、休みは家でゴロゴロしてるだけだから。でも、電話が急だったし、時間無くて・・・あまり色々とは作れなくて。ごめんな
さい。」
「ううん。とってもおいしかった。昨日の夜日本に戻って、すぐりぃちゃんの手料理食べたいなって思っちゃったんだ。でも、深夜だったし。朝は寝坊
で。わたしこそゴメンね。ホントにありがと。」
 あああ〜。トロけそう。どうしてこんな甘い微笑みが作れるかな。
「これからお仕事ですか?」
「うん。新商品のCM撮り。」
「わぁ、凄い。社内スタジオですか?」
「うん。海外撮影と合成したり。それが終わったらやっとお休みかな。」
「大変ですね。身体、大丈夫ですか?」
「平気。体力には自信あるんだ。そ、だ。スタジオで遊んでく?」
「え、で、でも。皆さんに迷惑じゃ・・・。」
「大丈夫だよ。」
 スタスタスタ。え? え? え? やだっ、手首掴まないでくださーいっ。うわっうわっ。蘭様の手でずるずるとスタジオへ引き摺られて行く私。それにして
も細い指だなぁ・・・綺麗な長い爪。うっとり。なんて蘭様の手に見惚れてる場合じゃないっ!! スタジオ撮影って事は、私の苦手とするあの方たちも
いるぅっ!!

「おっ? おチビさんいらっしゃい。」
 ああ、やっぱり・・・蘭様専属のメイクさん。矢沢カイさんがいる。
「あーっ!! りぃちゃんのお弁当っ!! あたしも食べたーいっ。」
 すみません・・・もう中は空です。スタイリストの下澤京香さん。
「どーりで、朝からお蘭の機嫌が良いと思った。」
 あ、カメラマンの一条信二さんだ・・・ちょっと死んだお父さんに似てるんだよね。この人。

「やだぁっ!! お弁当箱空っぽじゃなーいっ。」
「当たり前。りぃちゃんの手料理はわたしの為だけにあるんだよ。」
「ずっるーいっ!! ひっどーいっ!!」
 わーん、京香さん。私の手からエコバッグひったくるなり、お弁当箱振り回さないでっ。あ、そんなうるうるの眼で私とお弁当箱を交互に見ないでく
ださいよぉっ。
「おチビさんはモテるねぇ。お蘭と京香、両手に華だ。くすくすくす。」
 うっ・・・華っていうか、宝石っていうか。どうでもいいけど、そのニヤニヤ笑い止めてください、カイさん。確かに私の身長は153センチですよ。蘭様
なんて180センチですよ。ええ、親子ほどの身長差です。でも、チビチビ呼ぶのはどうなんですか。しかも、京香さんまで身長172センチもあるし。な
んなんですか、あなたたちは。知らない人が見たらスーパーモデルの団体さんご一行ですよ。
「りぃちゃんがいるって事は、今日の撮影は一発OK連続だな。助かるよ。」
 いえ。それは違うと思います。信二さんの腕が良いんです。後で失敗した写真でも良いのでこっそりください。一生感謝しますよ、私。
 なんて突っ込みを次から次へと心の中でガンガン入れてたら・・・始まったよ。始まりました。ええ。
「なぁなぁ、お蘭。おチビさんにメイクして良い? めちゃ綺麗にするから。」
「だめだよ。わたしのりぃちゃんに触るな。」
「えーっ、だって、勿体無いじゃん。りぃちゃん元が良いし、結構化粧映えするし。なぁ、良いだろ?」
「だめだ。京ちゃん、りぃちゃん隔離しといて。信ちゃんもりぃちゃんの隠し撮りなんてしたら許さないよ。撮影早く終わりたいでしょ? 早く帰りたいで
しょ? 新婚なんだから。」
「えーっ、なんだよぉっ。メイクくらいさせろよぉ。」
「だめ。カイにメイクなんてされたらりぃちゃんが汚れる。信ちゃん、この前みたいに隠し撮りしたらカメラ没収ね。」
「ひっでーっ!! 聞いた、おチビさんっ。お蘭のヤツ、独占欲の塊っ。」
 はぁ・・・この4人が揃うと、何か私、ペットになった気分がします。少しで良いから私にも人権を。
「とにかくっ。りぃちゃんはわたしのものなの。触るなっ。減るし汚れる。」
 蘭様・・・私の人権無視ですか・・・。そうですか。いいですよ、いいんですけどね。
「でも、ホント。この間は凄く綺麗だったわよ? りぃちゃん、どうしてお化粧しないの? お洒落したいと思わない?」
 う・・・京香さん、それは・・・。だって、お洒落したって似合わないし、そんなお金ないし。何より、昔言われたんだよね。『あなたなら絶対大丈夫だ
って思ったの。アイツ面喰いだから・・・』って。ショックだったんだ。ああ、また失恋の痛みが復活してきた。
「おチビさん。ホント綺麗な肌してるよな。ぜんぜん化粧してなかっただろ。皮膚が痛んでないモンな。」
 まぁ・・・諸々の事情ってやつですよ、カイさん。あまり根掘り葉掘り聞かないでください。昔を思い出すと落ち込むから。
「でも、化粧品会社のOLがそれってどーよ。」
「うっ・・・そこを突かれると痛いです。でも、言ってしまえば事務ですから。別に外回りする訳でもないし。」
 そうなのよ。そうなんですっ。私は社内での仕事だから、化粧とかいらないんですっ。ヤケっぽい言い訳だけど。

 化粧品会社に勤めているクセに、私の化粧は薄く、時折すっぴんで出社する事もある。まぁ、すっぴんは稀だけど、いつもノーメークに近い事は確
かだ。だって、御世辞にも私は綺麗じゃない。この間はカイさんのスーパーテクで凄く綺麗にお化粧してもらったけど、それだって、元が解らなくなる
くらい作り込まれてたし。まるで別人だった。
 あれは、私じゃない。

「くそっ、おチビさん肌が綺麗だから化粧ノリ良いし、見栄えするから新しいメイク試すのに丁度良いんだぜ?」
「カイの都合なんて知らない。りぃちゃん、こっちおいで。」
「じゃ、おチビさん。今度二人っきりで会って? 色々プレゼントするよ? 世の女たちが泣いて喜ぶものいっぱい。」
「カ〜イ〜っ!! りぃちゃんと二人きりで会ったりしたら、殺すよ。」
 あの〜なんで二人して私を取り合っているんでしょうか・・・もしかして、私に対する新手の嫌がらせですか・・・。
「しっしっ!! あっち行って。」
「あーっ。なんだよ、それっ!!」
 ああ、とうとうカイさん野良犬扱いされ始めました。蘭様、容赦なしです。
 って、脳内実況中継してどうしますか、私。

「でも、りぃちゃんてモテたでしょ? 今でもモテモテじゃない?」
 京香さん・・・もう止めましょうよ。その手の話は。
「いえ、ぜんぜん。」
「うそうそ。社内では結構大変らしいよ。」
 だから、信二さんもヤメテくださいってば。
「ん、もうっ。何の話ですか、それ?」
「へーっ。勇気ある男性社員もいるんだ。」
 うわっ、絶対ヤバいですって、カイさんっ。
「そんな男性社員なんて知りませんよぉ。私・・・。」
 あ・・・もしかして、もしかする?
 おどろ線が・・・おどろ線が・・・スタジオを這い回ってるんですけどぉぉぉっ!!

「それって・・・何処の誰の話・・・私の知らない所で、まさか、りぃちゃんに不埒なコト考えてる男がいるって事・・・なのかなぁぁぁ〜。」

 うっわーっ!!!! 地を這うようなそのお声っ!!
 蘭様っ、形相変わってますっ!! 折角の美貌がっ。美貌がっ。
 っていうか。ガシッて、ガシッて、私をはがい締めしてどーするんですかっ。

「あんた達っ!! 私のりぃちゃんに横恋慕しているヤツらの名前を全部書き出しなさいっ!!」
「蘭さんっ、そんな人いませんってばぁっ。」
 いやぁーっ。怖いよぉっ。
「いいよいいよぉ。ぜーんぶクビにしちゃいなさい。」
「京香さんっ、なんて事をっ!?」
「よしよし、オレも手伝うからありがたく思え。」
「きゃーっ。カイさんまでっ。」
 煽らないで、蘭様を煽らないでぇっ!!

「やれやれ。」
 あ、ご一行の中で唯一の常識人、信二さん。止めて、止めてくださいっ。この状況を何とかしてくださいっ。
 って・・・なんでカメラ覗いてんですか・・・。カシャカシャ・・・って。
「何を呑気に写してるんですかぁぁぁっ!!」
「あ、ごめんごめん。あんまり可愛いから。」
「へ?」
「お蘭がさぁ、この前言ってたんだ。」
「な・・・何をですか・・・。」
「あんまりりぃちゃんが可愛過ぎるから、首輪でもつけて自分チに閉じ込めたいって。」
「はぇ??」
「でもそれって犯罪チックだからさ。」
 いえ、充分犯罪です。チックではありません。
「取り敢えず、可愛いりぃちゃんをオレの写真に閉じ込めて、お蘭にプレゼントしとこうと思って。」
「はにゃ??」
「保身の為に、さ。」

 ホ・シ・ン・・・????


 数日後。
 私の同僚が数人、消えた。
 男ばかり、が。
 表向き人事の入れ替えらしいけど・・・これって。

「ま・・・まさか、ね。」




 更に数日後。
「なんですかぁぁぁっ、これっ?!!」
「可愛いでしょーっ。信ちゃんが作ってくれたのぉぉぉvv」

 蘭様の持ち歩くノートPCの壁紙に、蘭様の膝に横たわるネコ耳&シッポ&首輪の私がいた・・・。



【コイトツ/08.24】第一話 完。